PROJECT

仁和寺『旧御室御所』黒書院襖絵保存

世界遺産寺院の
襖絵の美を蘇らせる

激しい風雨のたびに、僧侶たちが駆けつけ、襖絵の損傷を最小限に食い止めてきました

印象が黒書院の絵を手がけたのは昭和6年のこと。その年の5月に行われた、仁和寺の開祖・宇多法皇の一千年御忌大法要のタイミングに合わせて襖絵を新調した折に、印象に依頼がかかったようです。京都の出身であり、その頃日本画家としての地位を確立していたことからも、印象が手がけたのは自然な流れだったのかもしれません。

当時多忙を極めていた印象は、構想から作画までを約2か月で行い、完成させました。作画を終えた翌日に黒書院に納め、その翌日には御忌法要がスタートするというハードスケジュールでしたが、短期間で見事に大作を描き上げたのです。変色を防止するために、当時の最新技術であったセルロイドの希薄液を噴霧するなど、仕上げにもこだわりました。

印象の筆によって命を吹き込まれた作品は、一間一間に物語を生み、長い年月を超えて今もなお愛され続けています。

しかし、その襖絵が今、経年劣化による破損や変色という危機にさらされています。

黒書院には直射日光や風雨を防ぐための雨戸などの建具がなく、特に外に面した廊下側の襖は外気に直接さらされた状態になっています。そのため、経年劣化も激しく、他の部屋よりも傷みが進んでしまっているのです。日光がよく差し込む箇所などは、襖が反り、僧侶たちが開け閉めをするのも毎回一苦労なのだそうです。ここ数年の台風による影響も大きく、激しい風雨のたびに僧侶たちが駆けつけるという日々が続いています。

仁和寺財務部管財課の岩崎智大書記は、「駆けつけても楔を打つことしかできないため、劣化は進む一方です。黒書院の屋根自体も劣化により下がってきており、さらに襖に負荷がかかっているという状況です」と、劣化に拍車がかかっている現状を訴えます。加えて、黒書院は一般の人がイベントに利用することもあるため、人の出入りによる破損なども心配されます。

このような状況から、歴史的にも美術的にも価値の高い印象の襖絵の保存が急がれています。

現在の黒書院は、もともと京都東山安井にあった安井門跡蓮光院の寝殿を明治41年に移築・改造したもので、歴史的に価値のある建築物であるがゆえに、雨戸の取り付けなどに着手できなかったという背景がありました。

今回の保存事業では、戸袋・腰張を含む、印象の手がけた襖絵などの作品46点を退避させ、高精度のレプリカを制作し、実物と入れ替えるという作業が行われます。レプリカの襖は、実物をスキャンした高精細画像を用いて制作される予定です。

レプリカ展示に切り替えることで、実物の劣化を防ぐだけでなく、一般の見学者の立ち入りが可能なエリアを増やし、イベントでの利用にも役立てられるというメリットもあります。また、襖の画像はアーカイブ化して大学のデータベースに保存され、研究などにも活用することを想定しています。

この保存事業にあたり、仁和寺 第五十一世門跡 瀬川大秀大僧正猊下は今の思いを話してくださいました。

「宇多法皇が人々の幸せを祈りお住まいになられた場所に、私が今こうして門跡としてお勤めできているということが、恐れ多くもあり非常にありがたい気持ちです。今年3月に仁和寺が国の名勝として選ばれ、御所というお名前をいただいたことにも深い感銘を感じております。そして、これまで仁和寺をお守りいただいた歴代のご門跡や技術者の方々、関係者の皆さまに感謝すると同時に、後世に伝えていかなければならないという使命を改めてひしひしと感じています」

静かな口調の中に、仁和寺で積み重ねられてきた長い歴史と、育まれてきた文化を絶やさないという決意がにじんでいました。襖絵を保存することは、仁和寺の歴史と文化を守り継承していくということにつながっているのです。仁和寺では、黒書院の襖絵保存を皮切りに、今後も御殿群の建築の修復・整備が進められていく予定です。

「仁和寺に来られたらぜひ印象の絵を見ていただきたいです。どれも素晴らしい作品ですから」と熱を込める朝川学芸員。印象の襖絵を一目見れば、誰もがこの作品を後世に残したいと思うことでしょう。

文=横沢ひかり  撮影=吉田亮人