PROJECT

茨城県奥久慈・漆の森プロジェクト

未来の日本に豊かな
国産漆を贈りたい

プロジェクトの主旨

● 高品質な漆の生産で全国的に評価されている茨城県奥久慈に、漆の森を育て、日本の漆文化を支援するプロジェクトです。

● 縄文時代のはるか昔から、日本人の生活や芸術文化と密接に関わってきた漆が、化学塗料の普及や外国産漆に押され衰退。日本の国宝・重要文化財の修復や本格的な漆器製作に欠かせない良質な国産漆が圧倒的に不足しています。

● 奥久慈の漆組合と協働し、1区画(約1千平方メートル)あたり60本ずつウルシノキを植え、漆の樹液が採れるようになるまでの約10年間、漆の森を育てます。

ひっそりと消え去ろうとしていた漆の里の物語

その山里を訪ねると、林の木々は、幹に不思議な黒い筋を宿していました。まるで何かの暗号のようにも、或いは古代の護符のようにも見える、深く、黒い筋――

茨城県、奥久慈。四方を山に囲まれて広がる静かなこの盆地の里は、国内にわずかに残る漆産地の一つです。幹に刻まれた筋は、漆の掻き跡。一説には平安時代からとも言われる昔から、この里の人々は漆とともに暮らしてきました。

「だけどそれも、今は昔の話でね」そう語るのは、神長正則さん。奥久慈漆生産組合長を務めています。「戦後十年くらいまでは、外から漆掻きの職人さんが出稼ぎに来るくらい、まだまだここでも漆が盛んだったけど、だんだんと労賃の安い中国産や化学塗料に押されるようになってね。どこの産地もそうでしょう。今、お店に並んでる漆器のほとんどが、中国産漆を塗っているんだからね」

日本人が漆を利用し始めたのは、縄文時代。7千年前とも、9千年前ともいわれます。貴人の身の周りを飾った華麗な蒔絵調度から、庶民の日々の雑器まで。日本人の暮らしに寄り添い続けてきた漆の伝統は、けれど、戦後の高度成長期、たった30年ほどの間にあっけなく崩れ始め、そして、その衰退を目の当たりにしながら、代々この地に住む神長さんもまた、漆とは縁もゆかりもない暮らしを送ってきたのでした。しかし、1997年、思いがけない転機が訪れます。

漆には縁もゆかりもなかった。そんな男たちが、漆に“カブレる”まで

当時、進む高齢化により、この里の農業は息切れを起こしていました。

「田んぼや畑が次々と耕作放棄地に変わって、あちこち虫食い状態になってね。だけどその空いた土地に、漆の木を植えたらどうか。そんな話が県から持ち上がってきたんです」

新しく組合が設立され、事務方に白羽の矢が立ったのが神長さんでした。「ここらではまだ若手だったから、雑用係。仕事の片手間の、ほんのお手伝いのつもりだったんだけどね‥‥」

こうして特に気の進まないまま漆に関わるようになった神長さんに、しかし、或る日、思いもかけなかったアイデアがひらめきます。

「組合を手伝いながら細々と残っていた漆掻き職人さんに話を聞いていると、木によって、漆がよく出る木と出ない木があるっていうんだ。じゃあ、よく出る“優良木”の系統だけを育てていったらどうなるんだろう? 素朴な考えだけど、そう思いついたわけ」

漆の木は種からではなく、成長した木の根を分けて苗とする“分根法”を取ります。まず、優秀な木の根から苗を作り、またその根から苗を作る。それを繰り返していく‥‥

「要するに品種選抜だよね。素人考えだったけど、自分で苗を仕入れて試してみると、2、3年でだんだんいい苗が育つ確率が高くなった。ガゼン面白くなってきてね」

やがて国の研究機関も巻き込んでDNA解析を進め、健康で成長の早い苗ができる確率をさらに高めていったと振り返ります。

「いつの間にか漆にカブレちゃってたんだよ」そう冗談を飛ばす、その笑顔はもう、ひとかどの漆農家なのでした。