PROJECT

茨城県奥久慈・漆の森プロジェクト

未来の日本に豊かな
国産漆を贈りたい

再び息を吹き返し始めた漆の里に、まだもう少し足りないこと

こうして育てる漆の木からは、しかし、たとえ優良木であってもすぐに漆が採れるわけではありません。

「10年間、待つ必要があります。それまでは掻いてもいい漆は出ない。これでも神長さんたちが成長の早い苗木を作ってくれたおかげで、5年ほど早くなったんですけどね」

そう呟くのは、岡慶一さん。2009年、県による漆掻き職人育成プロジェクトに応募してやって来た、この里の新しい住民です。

「僕は埼玉の街育ちで、長く塗装の仕事をしていました。当時使っていたのはラッカー。化学塗料ですね」

その仕事先の親方に、自然塗料も見ておけと言われ、見学に来たことが漆に興味を持ったきっかけでした。当時、四十歳。漆と杉の木の区別がつかなかった街っ子は、農閑期に森林調査の仕事をして山の成り立ちを肌で覚え、今、夏がめぐりくるたびに漆の前に立ちます。

「ずっと化学塗料を使って来た自分が、自然の漆に携われている。そのことが嬉しいですよね」

それでも、岡さんには悩みがあります。それは、この里の漆の木の絶対量が少ないこと。神長さんたちの20年におよぶ努力によっても、消えかけていた漆の林を一気に殖やすことはできなかったのです。

「最近、国が画期的な決断をして、これまで中国産でまかなってきた文化財の修復を、今後は国内漆のみで行うことになりました。日本の文化財には日本の漆で、という英断ですが、年間で2トン以上の漆が必要となるのに、生産量は全国の産地を合計してもその半分。まったく足りていないんです。もちろん、そんな話を聞けば、僕らもその現場に早く漆を届けたいと思いますよ。だって時間が経てばそれだけ、建物の傷みも激しくなりますよね。だけど、できない。結局、木なんです。もっと掻きたくても、木が足りないんです」

そういって、六歳の木を見上げた岡さん。この木が育つまでに、あと4年。その視線の先にはがらんとした耕作放棄地が広がっています。

「もとは茶畑だったところ。日当たりのいい一等地だよ」と神長さんが呟きました。「1反歩だから、1千平方メートル。資金さえあれば、60本は植えられるね。もちろん育つには10年かかるけど、10年後の日本に、必ずこの分の漆は届けられるよね」

神長さんはあるとき、考古学者とともに、縄文時代と同じ道具で漆を掻いてみたことがあると語ってくれました。黒曜石を削ったその道具は、漆の木にぎざぎざと不器用な傷をつけ、流れ出る漆はごくわずかだったといいます。

「それでも日本人は漆を掻いてきたんだなあとしみじみしたね。もう一度、日本の漆を取り戻していきたいよね」

そういって、林の見回りに歩き始めた二人。その林がどこまでも続いて森になるように。奥久慈は、日本の漆は、今、支える力を待っています。

文=西端真矢  編集=田村紗耶  撮影=岡村隆広